第九.五章「岐路」


 私は既に死んだ人間だ。
 命の灯火が消えたはずの私が今生きているのは、多くの人の努力と、多くの人の犠牲があればこそ。

 私はそれにどんな言葉でも表せない感謝と恩義を感じている。
 人生を旅に喩える人がいる。もし私の人生を旅に喩えるなら、海外の有名観光地に行くツアー旅行だろう。

 チケットの手配も案内も全て旅行社がやってくれる。
 海外にいるのに会話を片言のカタカナ語で済まし、料理を食べるのも観光客向けの店。
 そんなどこが外国なのかわからない環境で、海外に来たと満足する。
 そんな勘違いした人生だった。

 私は知らなかったんだ。
 コンダクタのいない外国の地を、ネイティブの発音でないと言葉が通じない本当の海外のコミュニケーションを。
 私はずっと平和で平穏で安全圏にいる人生を送っていたのだ。

 そして、私のツアー旅行は終わっていた。
 私はなんの準備も覚悟もないまま、スラングの飛び交うスラム街に放り出された。
 誰とも言葉が通じない外国の地で無一文。
 大使館があるのかすらわからない。
 そんな喩えが似合う私の人生。

 私は死を覚悟して気付いたのだ。
 それまで私が普通で平凡でつまらないと思っていた日常が、どれほど尊く素晴らしいものなのかと。

 私は運良く助けられた。
 それは私の人徳や強運などではない。ただただ拾われた命。
 彼が私を助けてくれた。私は彼に出会っていなければ今頃、墓で骸(むくろ)となっていただろう。

 だからからこそ、私は恩義に答えたい。
 私を助けてくれた彼と、これまで犠牲になっていた全ての者の為。
 そしてこれから救われるだろう私と宿命を同じくする者の為。

 もしかすると、私が生きながらえたのは運命だったのかもしれない。
 既に死んだはずの私に命をかけて成すべきことがあるのなら、私は躊躇なくこの命を賭けるだろう。

 私は私の人生に価値を見いだしたい。
 何も成し遂げることなく死ぬのが私の運命だったなんて、受け入れるわけにはいかないのだ。

 この拾った命で、私に出来ることはあるのだろうか?


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