*

 怒号が乱れ飛んでいた。
 町の自治を司る戦士団と、作戦を粛々と遂行する騎士団との乱戦が広がっていた。それは歩兵同士の消耗戦。騎士団にとって本意ではない戦であった
 ムルトエ軍に誤算だったのはやはり地の利。村の中とはいえ、砂漠のただ中に存在するクロファリ村の足下は砂地ばかり。
 そんな場所に重騎士の正装だからといって金鎧(かなよろい)の甲冑を全身に着込んでいるのだ、不安定な足場にその重量はこたえるというもの。その分、砂漠に慣れた戦士団『砂漠の雁』が優位に戦いを進めていた。ただ、まだ騎士団の方が数的優位にあるのは確か。
「お前達! こういうときは弱そうな奴から先に叩くんだよ! 強そうな奴は無視していい!」
 キルビ・レニーにとって、こういう泥臭い戦いはお手の物だった。『砂漠の雁』の団長になる前は、こんな戦場を幾多渡り歩いてきた。その血が騒ぎ出す。
 無論、『砂漠の雁』に団長の指示を無視する者はいない。ムルトエ軍で明らかに強そうなラーク将軍にかかっていく者は誰もいない。副官のクロビスも近付けば敵が逃げていくので、自慢の長剣を有効に振るえてなかった。
 そんな状況であるから、ムルトエの騎士団の志気は著しく下がっていた。魔法使いのケルケも魔法は放っているようだがなぜだか有効な援護はなく、騎士達は各個に戦うしかなかった。
 足並みが揃わず精鋭のはずの騎士団が総崩れの様相を呈しているというのに、なぜかラーク将軍は黙ったままだった。黙ってオーディ・クロファリと対していた。
「どうした? あんたらの隊が押されてるぞ?」
 オーディの両手には双斧が握られている。空の上からキルビが投げて寄こした斧を拾い。オーディは再びラーク・ザークに戦いを挑んだのだ。
 どうやらキャロルはケルケを抑えるので精一杯の様だ。ここでこの魔剣使いの将軍を自由にしてしまうのは、戦士団にとって致命傷にもなりかねない。その一心でオーディは先程敗北した猛将に立ち向かったのだ。
「……あの女がお前達の将か?」
「ああ、うちの自慢の団長さ」
「なかなか、いい動きをする。指示もいい。あの相手はあやつらでは荷が重かろう。どうやら、我々が勝つには、私が叩き斬らねばならぬ者が多いようだ。無論、まずはお前だ。……そういえば名は何と言ったか?」
「『砂漠の雁』のオーディ。今はそれだけでいい」
 先程はクロエの民として、クロファリの代表として名乗りを上げた。しかし今度は違う。これはもうオーディ一人の戦いではないのだ。
「オーディ。悪くない。こんな血の湧き上がる思いは久しぶりだ。オーディ、今度こそ殺してくれようぞ」
 そうしてオーディの死闘が再び始まった。


 クロビスは必死に戦況を立て直そうとしていた。
 どうやら、ラーク将軍も魔法使いのケルケも己が敵で手が回らない様子。こんなときこそ騎士団の副官である自分が指揮を執らねばならぬ。そう気が逸る。
 それなのに、この薄汚れた戦士達はちょこまかと戦場を駆け回って、騎士団の攪乱ばかりする。そしてたまに隙とみるなら襲いかかる。全く卑怯な輩ばかりだ。
 クロビスが何度、戦列組むように指示しても、それが上手くいかない。思い通りにいかない不満が募っていたとき、やっとクロビスに正々と戦いを挑む戦士が現れた。 「お前さん、なかなか強そうだな。俺が相手してやるぜぇ!」
 それはレイモン・デルアンだった。ふてぶてしい態度で大剣を向けてくるその男は、尊敬し憧れるラーク将軍と似た構えをとる。それにクロビスは更に腹を立てた。
「さぁ始めようか、ハゲの兄さんよ」
「誰がハゲだ!」
 ムルトエ人では当たり前の薄い頭髪を気にするクロビス・アエンティも、レイモンに応じてその長々しい剣を構えるのだった。


「あの、大丈夫ですか?」
 オーディと将軍の一騎打ちから、怒濤の如く乱戦になり、捕縛されていたコルッシュは完全に忘れ去られていた。
 幾度か慌てふためき逃げまどうミルミーアが前を通り過ぎたが、声をかける間もなくどこかに行ってしまった。
 ケルケにやられた体で戦いに参加出来ぬのだから、忘れられた方が安全ではあるのだか、コルッシュはなんとなく寂しさも感じていた。
 そんなとき、広場の端で磔に合っていた一人目のキャロルから声をかけられた。
「おう、怪我はしとうが命には別状ないきに。しかし、えれぇことになっちょるの」
「ちょっとお待ちくださいね」
 そう言うと、魔法の輪に捕らえられていたキャロルの体は白く溶けて磔から抜け出すと、再び元の姿に戻っていく。
 彼女の体が輪郭を取り戻す頃には、失っていたはずの右腕を含め元通りの姿になっていた。
 空から降る砂から体を作り上げている様子はコルッシュも見ていたが、目の前でやられると不気味に見える。
 それに、そんなに簡単に抜け出せるのならもっと早くにすればいいのにと思ってしまう。そのキャロルがコルッシュを縛り付けている縄を解いた。
「すまんの。世話かけぇ」
「いえ、お礼を言いたいのは私の方です」
「礼? 俺っちに?」
「はい。よくぞオーディを助けてくださいました」
 無謀にもケルケに矢を射って、オーディの処刑を止めたことを思い出し、コルッシュは苦笑する。
 運良く助かったが、あの反撃の魔法で死んでいてもおかしくなかった。
「それに、あの男に防御の法を使わせて頂いたので、こうして、私も力を幾分振るえるようになりました」
「どげんことじゃきに、それは?」
「私はあの男の力で、能力の殆どを封じられていましたが、彼が不意打ちに対し反射的に防御した結果、その隙をついて私が彼の術式に僅かに穴を空け、力を振るえるようになりました。彼(か)の者の敗因は塔から離れたことですね。お陰で私が僅かですが力を取り戻したことに気付かなかった。この通りこの体は操り人形。私の本体はあの塔そのものなんですから」
「僅かね。こげんで……」
 先程から降り続ける白い砂や、ウーパに乗って二週間はかかるクロセリカの町から戦士団を運んで来たことを「僅か」と言うことがコルッシュには信じられなかった。
「本当は、オーディにあの男への不意打ちもお願いしておいたのですが、一人では流石に難しかったようですね。結果として、あなたが矢を射ってくれなければ、こうしてあの無頼漢達に対抗出来なかったわけです」
 キャロルの言葉にコルッシュは笑うしかない。
 コルッシュの馬鹿げた行動が、ムルトエ軍に対抗する決定打になったとは因果なものだ。
「どうやら、勝負は決したようです。もう戦いは終わりますよ」
 白き衣をまとった少女は予言するように言った。
 コルッシュにもなんとなくその言葉が現実のものになるだろうことはわかった。それが地神ディフェスそのものの声にも聞こえた。


 ニータ・ガテリアはキルビ・レニーの背を追っていた。この団長は、強いには強いのであるが、いつも戦い方が無茶なのだ。
 今日もそれに漏れず、戦場を我が者顔で駆け抜けていた。
 戦況の優劣などお構いなし、敵がいれば有無を言わさず突っ込んでいく。それがキルビの戦法。そうすることで、確かになぎ倒す敵の数は尋常ではない。
 しかしそれでは、誰か背を守る人間がキルビには必要なのだ。背を気にせず、ひたすら前に前にと斬り込んで行くとき、キルビ・レニーは『戦斧狂舞』たる力を最大限に発揮する。
「今日も団長の尻ぬぐいか、それも悪くない」
「ニータ! なんか言ったか!」
 どうやら振り向きもしないで聞こえているらしい。地獄耳とは質の悪い団長だ。ニータはムルトエ騎士の斬撃をいなしながら渋い顔をする。
「ほら、何やっている! まだまだ行くよ!」
 キルビに急かされて、ニータは返す払いで騎士の手首を刈る。金手甲に阻まれはしたが、騎士の握力を削ぐには充分だった。
「団長! さっさと終わらせましょう!」
「何を当たり前のことを言っている!」
 団長の怒声が戦場に響くことで、戦士団は更に勢いづいた。
 これが『砂漠の雁』真骨頂。戦場を駆けるキルビ・レニーにどこまでも彼らは付いていくのだ。


「随分、騒がしいと思わんか?」
 ラーク将軍の言葉に同意する余裕はオーディにはなかった。
 やはり強い。戦況は『砂漠の雁』に優勢なようだが、オーディはラーク将軍に苦戦を強いられていた。
 既に戦った身なので、将軍の間合いは把握している。だからこそ、その強さに攻めあぐねていた。
 この強さ、他の仲間と戦わすわけにはいかない。恐らくキルビ以外では勝てぬ。いや、キルビでも初見であの斬撃が避けられるか、義姉には怒られそうだが懐疑的になる。もし、今将軍が乱戦に加われば戦況は確実に覆る。
 既に切られた斧は五つを数えていた。空からキルビが投げて寄こしてくれた斧も底を突く。
 斧を犠牲にするような戦い方をしないと将軍の猛攻を凌ぐことすら難しい。そして今、手にした二本が最後の斧だ。
「どうして……」
「何?」
「どうして、あんた程の人が、こんな所でこんなことをしているんだ! 一国の将軍なら他にもっとあるだろ、やるべきことが!」
「主の言うこと、わからぬではない。だが、私は引くわけにはいかぬ。私はムルトエの将来を背負っている。国の未来を潰えさせるわけにはいかんのだ」
「そんなの言い訳だろ! そんなに『白の塔』の力が欲しいか!」
「では、お前は力を欲せぬと言うのか? 力があれば私に勝つことも出来るのだぞ」
 確かに今のオーディでは勝てる気がしない。後五年、キルビのしごきに揉まれれば、オーディもエルトを代表する戦士となることが出来るかもしれない。
 しかしそれでは遅い。この魔剣を振るう将軍に勝つ力が今必要なのだ。
 第一、オーディが五年修行をすれば、恐らく将軍も五年分強くなる。歳を理由にもうろくような男ではない。
「我々には『白の塔』いや、地神ディフェスの力が必要なのだ。この世界を統べる為の力。我々がもらい受ける!」
「そんなことさせはしない! 俺達は生きていける。神なんかいなくてもこの砂漠で生きていく。どんなことがあっても生きていくんだ。神の力に頼ろうとするあんたらに負けはしないんだ!」
 オーディのその叫びは乱戦が起こっている村の広場に限らず、クロファリの村中に届いていた。乱戦を行っている『砂漠の雁』にも、傷付き捕らえられたクロエの民にも確かに聞こえた。
 オーディの思いは砂漠に生きる者全ての代弁だった。どんなに地神の封(ほう)じられた地とはいっても、その力を信じ生贄すら出していたとしても、砂漠で生きる者にとって神とは頼る物ではない。この砂漠と同じく、神とはそこにあるもの。時に厳しく、時に優しい。ただそれだけに過ぎない。
「オーディ勝てっ!」
「オーディ!」
「そんな奴ぶっ飛ばせ!」
 それは誰の言葉だったのだろう。誰とは言わず、次々と村中からオーディへの声援が上がっていく。その声に力をもらい、オーディの精神は高まっていく。
 冷静を保て、熱くなれ。
 集中し、脱力しろ。
 全てを見て、全てを見るな。
 いつも義姉に言われていることが頭に浮かぶ。謎掛けのような矛盾ばかりの指導。それが全て同時に出来てこそ一流の戦士だとキルビ・レニーは言う。
 どうやら、オーディはまだまだ一流には及ばない。目の前のラーク将軍こそが一流の戦士と呼ばれるべきだろう。悠然とした構え、油断すればいつでも暴風のような斬撃を放つ。オーディに勝てる要素はない。それでも負けるわけにはいかない。
「どうした。来ぬのか。私はこれからお前の仲間を皆殺しにせねばいかんのだ。お前と戯れているのもそろそろ限界」
 ラーク将軍が構えを変える。中段の脇に構えていた魔剣を下げ、自身も深く沈む。狙いを澄ます下段の構え。
 それまでオーディが間合いに入ってくるのを待っていた将軍が、初めて攻撃に転じようというのだ。
 オーディに焦りがにじむ。容易く鉄(まがね)の斧を断ち切る魔剣に攻められれば、耐えしのぐことは難しい。
 オーディは前に突き出していた両の斧を、横に開く。
 防御は捨てる決死の構え。戦技の師であるキルビですら使うことを躊躇う諸刃の構えだった。
 オーディは深い息を吐く。ただ一点。魔剣の切っ先だけを目に捉え放さない。
 戦うことを躊躇うな。
 死ぬことを恐れるな。
 命を刈り取ることを迷ってはいけない。
 斧を持てば殺す気で振るえ。
 義姉の教えを心中繰り返し。自らに暗示をかけていく。
「なかなか心地いい殺気を放つ。子供にしてはませた力だ。だがっ!」
 魔剣の煌めき。剣筋など見えるはずがない。
 それどころか、ラーク将軍の怒濤の踏み込みにオーディは遅れてしまう。それでも二本の斧が別々に将軍の首を刈る為に繰り出されていた。
 それは刹那。橙の光がオーディの右の腹に食い付くように伸び上がってくる。その途中にある黒き斧など物ともせずに斬り裂いて、襲い来る魔剣は速度を更に上げる。
 それでもこの左の斧が当たれば。その思いでオーディは渾身の力を込める。相打ちだっていい。ここでこの将軍を止めることが出来れば。
 瞬間、魔力の光が軌道を変えた。
 右肩を薙ぐはずだった魔剣が目の前にある。
 咄嗟に首を捻り倒したオーディ。その頬を熱い感触が線を描く。それと同時に、ラーク将軍の首を刈るはずだった左の斧も中程で真っ二つに斬り払われた。
 僅か一合の攻防。オーディは相打ち覚悟であったのに、それすら許されなかった。
 右に持った斧は柄まで完全に破砕され、左の斧は刃が途中で切り落とされていた。
 ラーク将軍が選んだのはオーディの胴を切り裂くことではなく、両の斧を排除すること。
 斧さえなくなれば、次の一撃で殺すことは容易い。
 ここまで来てラーク・ザークという男は冷静の一言に尽きた。

「終わりだな、小僧。なかなか楽しませてくれた」
 もう魔剣の刃を突き付けることなどしない。オーディに勝負があったと知らしめる必要がない。ただ、今一度、その刃を振るえばいい。ラーク将軍は魔剣を僅かに振りかぶる。
 駄目だ。かなわないよ、キルビ姉。
 殺す気だった。命を賭した。でもそれでは足りなかった。
 死ぬ気でも届かないものがある。何がいざとなったら何人でも殺すだ。そんなことを言ってこの様は何だ。
 一人だって殺せてない。一人だって救えてない。
 四年前からそうだ。妹一人救えない者が、一体誰を救うっていうんだ。
 オーディは死を前にして、たった一人の肉親のことを思い出していた。
「オーディ!」
 キャロルの声。それが耳をつんざかんばかりに聞こえてくる。
 白き砂がオーディの目の前に膨らみ上がっていた。その姿が徐々に白き少女のものとなりかけている。
 ラーク将軍とオーディの間に割り込み、オーディの盾になろうというのか。
 しかし、それは間に合わない。仮にキャロルが割って入っても、魔剣の一撃は白の少女ごと、オーディを切り裂くだろう。
 キャロルの防御魔法が魔剣を前にして意味をなさないのは、『白の塔』で実証済みだ。
 オーディの体が無意識に動いていた。
 キャロルを盾にすることを拒否するかのように、彼女の脇をくぐり右に回り込んだ。
 ラーク将軍に一瞬の迷い。
 キャロルを斬るか、オーディを斬るか、それともこのまま力ずくで二人とも薙ぎ払うか。
 迷ったとはいえ、その選択は一瞬。回り込む動きのオーディにとって、それは隙とは言えないほど早かった。
 将軍の出した答えは、二人とも薙ぎ払うだった。
「おおおおおぉぉぉ!」
 オーディが雄叫びをあげて、キャロルの前に出た。
 このキャロルという少女は砂で創られ、斬られても死にはしないということは、オーディにもわかっていた。
 しかし、そんなことは関係ない。斬られていい者なんていない。そんなことを考えたのだろうか。無意識のうちに身体が動いていた。
 オーディは回り込む間に右に持ち替えていた斧を振るう。
 既に刃の半ばで斬られたその得物は、妙に軽かった。
 それでも、ラーク将軍の斬撃の方が早いのはわかっていた。オーディは、ただ懸命に腕を振り抜く。
 驚いたのはラーク将軍の方だった。
 オーディは空いた左腕をかざして魔剣を受けたのだ。
 鉄(まがね)の斧も、キャロルの魔法でさえ簡単に切り裂く魔剣相手に、帯布を巻いただけの腕を自ら差し出すように、魔剣を受け止めにかかる。
 どれだけクロエ族の皮膚が硬くとも、魔力の光には空気を裂くのとなんら変わらない。

 まるで時が止まったようだった。
 乱戦が今も続くクロファリの村が、その時だけ静けさに包まれる。
 空に何かの影を見付け、誰かが見上げた。
そして重い音を鳴らして、それが落ちる。
 オーディの腕。
 無情にも切り落とされたオーディの腕が、将軍の斬撃に跳ね飛ばされて、地に落ちた。
 前のキャロルと同じく腕を落とされてしまった。人外のキャロルに耐えらたとしても、オーディには死に至る傷だ。
 それぞれが『砂漠の雁』の戦士達と戦っていたムルトエの騎士達も自然と手が止まる。
 そして騎士団は将軍の勝利を確信し沸き立った。

「オーディ!」
 キルビ・レニーが叫びを上げた。義弟を信じ、助太刀しなかった自分を悔いる。
 オーディはラーク将軍を前に倒れ、無様に藻掻いていた。遂に一騎打ちの雌雄が決したのだ。
「死中に活を拾ったか……」
 ラーク将軍が、振り上げた魔剣を下ろしもせず、そんな言葉を漏らす。
「宝剣レディタンス。その力を知ってもなお、手で受けようとする者など、幾多の戦を乗り越えてきた私でも初めてだ……」
 それはオーディを馬鹿にした言葉ではない。魔剣に腕を差し出すことが、どれだけ無謀で愚かな行為でも、ラーク将軍はオーディをただ純粋に誉めいるのだ。
 将軍のその脇腹にはオーディの斧が突き刺さっていた。
 全身を覆う甲冑を着ていれば防げただろう斧撃も、剣速重視の軽装が仇となる。
 答えは簡単だった。
 戦技の師キルビ・レニーと同じかそれ以上の力を持ったラーク将軍の不意をつくなら、キルビですら驚かせた技しかない。
 たった一度しか通じない捨て身の奇策。斬撃を生身で受けるという、意表をつくだけの技。
「どうやら、私は魔剣の力に傲(おご)っていたか。これが魔剣でなければ、主が腕で防ごうとも、それごと斬るつもりで振り切っていたのだがな。腕では防げぬと慢心が剣筋を鈍らせたか。切れ過ぎるというのも考え物……」
 ラーク・ザークは脇腹に刺さった斧を無造作に抜きさる。その傷口からは青き血が滴っていた。
 半ばで斬られた斧では筋肉の鎧で身を固めた将軍相手に、致命傷には至っていない。
 腕を切り落とされ、痛みに藻掻くオーディを、今度こそ殺す為に魔剣を振り上げた。
 やっとのことで一撃を入れたというのに、オーディが死ぬという結果は変わらないように思えた。
 しかし、地に倒れたオーディの前に、今度こそキャロルが立ちはだかった。
「殺させません」
 小さき少女が大男の将軍を睨み付ける。その表情は真剣そのもの。覇気など放てぬ少女が頑なにオーディを庇っていた。
「どけとは言わぬ。神の人形よ。主(ぬし)ごと、斬り殺すのみ」
「音に聞く猛将ラーク・ザークが子供相手に向きになるとはね。でも、これ以上はさせないさ。この『砂漠の雁』団長キルビ・レニーが相手になるよ」
 見れば、キルビ・レニーがラーク将軍に向け斧を構えていた。いや、それだけではない。彼らの周りには『砂漠の雁』、ムルトエ騎士団、双方が戦いを止め、成り行きを見守っていた。
 将軍とオーディの決着が乱戦を止めていた。
「……そうか、私は負けたのか。武人(ハイヤー)として勝って、戦人(イナ・トゥース)として負けた……」
 ラーク将軍は天を仰ぎ見た。
 このまま総力戦になればまだ戦況はわからない。ラーク将軍とキルビ・レニーが戦えば、その勝敗も神のみぞ知る。
 しかし、脇腹に傷を受けた将軍が戦い続ければ、たとえ勝利しても将軍にも死が待っているだろう。戦人(イナ・トゥース)にとって、死こそが敗北なのだ。
 まるで砂漠の陽炎に包まれるように、音もなくラーク将軍の姿が揺らいだ。
「ケルケか」
 将軍が虚空を見て言う。
『はい。引き時が肝要かと』
 その声はどこからともなく広場全体に響き渡る。確かにケルケ・カナトの声なのだか、酷くぼやけて遠くから聞こえる声だった。
「小僧」
 ラーク将軍が、腕が落とされた痛みに歯を食いしばるオーディに声をかける。
「また、見(まみ)えることもあるだろう。簡単には死ぬなよ」
 将軍の声も次第に遠くなる。一歩も動いていないのにラーク将軍の姿が何もない空間に沈んでいく。
 『砂漠の雁』の一同は驚きを隠せないでいるが、オーディはそれがケルケの魔法『転移の法』と呼ばれるものだと知っていた。
 気が付けば、ムルトエの騎士団は生死にかかわらず、全員が空中に溶けていく。
 未だに、睨み合いを続けていたレイモンとクロビスも、騎士団の撤退を知る。クロビスは口元を歪ませてレイモンに言い放つ。
「我々はお前達に負けたわけではないぞ。地神の力がなければお前達など!」
 クロビスの言葉はもっともだ。
 キャロルが『砂漠の雁』を運んでこなければ、キャロルがケルケを抑えなければ、彼らがムルトエ軍に対抗することは出来なかったはずだ。
 ラーク将軍に一撃いれたオーディでさえ、本来なら『白の塔』で死んでいたのだ。
 しかし、それが悔し紛れの捨て台詞と知り、レイモンは声に出して笑っていた。
「ははは、一昨日来やがれ!」
 レイモンに笑われたクロビスの姿も空気に溶けて消え、ムルトエ軍の姿はなくなった。
 あちこちから安堵の溜息が聞こえてくる。
 急な乱戦に持ち込めたお陰で優位に立っていたとはゆえ、元々精鋭の騎士団が相手である。誰一人、気が抜けぬ戦いだった。
 だが、徐々に勝利の喜びが湧いてくる。勝ち鬨(どき)を上げた者もいた。
 しかし、
「オーディ!」
 悲痛な団長の声に、浮かれた気持ちは吹き飛んだ。
 腕を切り落とされたオーディは大量の血を砂地にまき散らし倒れていた。
 将軍との戦いの傷で腕だけでなく体中からも血がにじんでいる。
 皆が駆け付け、オーディを取り囲む。キルビがオーディの体を起こすと、まだ息はあった。
「しっかりしろ、オーディ」
「団長、ゆらさないで、早く止血を」
 ニータの冷静な声も、キルビには届いていなかった。それは戦士団の団長の姿ではなく、義弟を心配するただの女の姿であった。
「ごめん、キルビ姉」
 オーディが掠れる声で言った。
 何に対して謝ったのかはわからない。でもその場にいる人間は誰もそんな言葉は聞きたくなかった。
「いいんだよ。あんたは勝ったんだ」
 キルビはオーディの残った手を握り締めた。
 オーディは視界を占める青い空を見つめていた。
 いつの間にか風の戻った元通りの空。
 オーディが生まれ育った砂漠の空をオーディは初めて綺麗だと思った。
 その視界にキャロルの顔が割り込んでくる。
「まだ、生きてますか?」
 なんて懐かしい。それは四年前、『白の砂漠』で出会ったそのままの笑顔だ。
 あの時と同じくオーディの顔を覗き込む白き少女。
 妹に似ていると思った少女は、改めて見れば全然似ていない。
 でも、守りたいと思った優しい笑顔だった。
 血を流し過ぎたのだろう、オーディに眠気が襲う。
「キャロル、……これでよかったのかな?」
 薄れる意識の中、オーディはやっとのことで口にした。
「上出来だと思います。あなたは打ち勝ったのです」
 腕を切り落とされ、死にかけているのに何が上出来だ。そう思いはしたが、不思議と反感は覚えなかった。
 キャロルの許しを得たからだろうか。オーディは眠るように意識を失った。


 この日、クロセリカ自治警護戦士団『砂漠の雁』が、地神ディフェスの加護を受けた神の聖戦士団となったと語り継がれる一戦に勝利した。
 神の加護を得たと言っても『砂漠の雁』に被害がなかったわけではない。
 負傷者十二名、死者五名。
 その者達は地神の御名の元、クロエ族発祥の地クロファリ村に手厚く葬られ、墓標にその栄誉が刻まれた。
 以後、名実共にエルトの守護を担う戦士団として『砂漠の雁』の名はエルトに留まらず世界中に知れ渡ることとなる。



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