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「ひゅぁ……。ひゅぁ……。ゴホっ」

 喘鳴混じりの咳が木枯らしに乗って、どこまでも広がりを見せる。
 手は真っ白に凍えて痛い。
 痛いってことは、私は生きているんだ。
 こんな程度で、人間は死なないんだよ。

 ぐふふふ。そんなこと知ってます。
 だって、私でさえ十六年間、死ななかったんだから。

 自分が吐いた物を見る気もしない。
 真っ赤に染まった吐物が土に流れ染み込んでいく。

 ここが河原でよかった。
 アスファルトにこんな汚物をまき散らすのは公共の福利に反します。
 こんなものを玄関先に吐かれた頴田君は、それはそれは迷惑したことでしょう。
 頴田君が怒るのも当然です。

 胸の奥底がチクリと痛む。
 これは慣れた肺の痛みじゃない。
 これは……ココロノイタミ。

「……頴田君」

 私はまたその名前を唱えていた。

 さっき拒否されたばかりなのに、私はなんて単純馬鹿なんでしょう。
 記憶力もないのでしょうか。
 私は頴田君に愛想を尽かされたのに……。

 でも、私はあまりショックを受けていなかった。
 私が頴田君に受け入れられるはずがないと覚悟していたのもありますが、
 それ以上に物理的に吐いたので体がすっきりしてしまったんです。
 肉体と精神は密接に関係していると言いますが、
 体が楽になれば気分もそれなりに晴れるようで、今の私は結構元気です。
 何て現金な私。

「頴田君に謝りたい」

 私は自分の願いを言葉に出した。
 頴田君に愛想を尽かされたのは全て私の責任。
 だから、それをなかったことにしたいなんて言いません。
 だけど、だからこそ、私は頴田君に本当の意味での謝罪をしたかった。
 たとえ私の気持ちが頴田君に伝わらなくても、私なりにケジメを付けたかった。

「追いかけなきゃ」

 自分で転がり落ちた河原の斜面。
 こんなにもきつい坂だったんだ。
 私の体もよく転がったはずです。

 私は一歩一歩、ゆっくりとだけど確実に坂を上る。
 たぶん、普通の人にはそんな大層なことでもないのでしょう。
 でも運動というものに縁のない私にとって川の堤防というものは、なかなかどうして障害物となってくれる。

 やっとのことで堤防を登り切る。
 既に頴田君の姿は遙か遠く、小さく見えるだけ。
 その後ろ姿は不機嫌なままだけど、私はその後を追いかける。

「ひゅぁ。ひゅぁ」

 息が上る。
 私の気管が悲鳴を上げている。
 でも、なんだか苦しいのも嫌じゃない。
 私は無心で地面を力強く蹴り出した。

 軽快、軽快。まだまだいける。
 私は徐々に足を速めていく。

 もう数百メートル先に行ってしまった頴田君を追うんだ。
 全速力だって足りないぐらい。

 思いのままに足は進む。
 不安なんて無理矢理に忘れ去る。
 私はこのまま終わりたくない。
 ちゃんと、ちゃんと終わりたいんです。

「ひぁ、ひぁ」

 喉から音が漏れ出も、私は力の限りに足を動かし続ける。
 心臓も肺も『止まれ。止まらないと潰れちゃう』と訴えるけど、そんなの無視無視。
 どんなに息が苦しくったって、私は止まる気なんて全然ないんだから。

「頴田君!」

 とっくに限界に来てる肺を更にいじめてやる。
 私は生まれて初めて出したぐらいの大声で彼の名を呼んだ。
 荒れた息で大声を出すなんて、本当に自殺行為。
 私は今この時点で自殺志願者の仲間入りです。

 振り向いた頴田君の顔をみんなに見せてやりたいぐらい。
 私がまた追いかけて来るなんて微塵も考えてなかったんだよね、頴田君。

 ふふふ。
 やっぱり頴田君は、私という女をわかってない。
 私はそんな言われたからやめるような可愛げのある娘じゃない。

「ど、どうして、また付いて来るんだよ」

 しどろもどろで頴田君は慌ててる。
 まだまだ私との距離があるのに慌ててる。
 そんな様子が何だか可愛い。

「ひぁ、ひぁ。頴田君。ひゅぁ。言いたいこと、あるの」

 私は頴田君へと走りながらも声を出す。
 喘鳴混じりの死にそうな声。
 頴田君に聞こえてるかどうかなんて関係ない。
 私が言いたいから声を出すだけです。

 私が近づくと頴田君も逃げるように足を速める。
 顔は何回も私を振り返りながらの早歩き。
 それも何だか滑稽で、私の口元は自然に緩んでた。

「頴田く〜ん」

「な、な、なんだよ」

 私の声に頴田君が返事をしてくれるのも何だか楽しかった。
 だから頑張って頴田君に追いつくんだ。
 足を動かして、前に進んで、頴田君の所まで行くんです。

「あのね!」

「……」

 頴田君は私が声をかけても止まる様子はない。
 それでもいい。私は頴田君を追いかけながら、絶え絶えの息の合間に頴田君に声をかけ続ける。

「頴田君の家ね。ひゅぁ…、血で汚れて、ひゅ…、たでしょ?」

 頴田君は急に立ち止まった。
 まるでスローモーションかのようにゆっくり振り返った顔は、ぎょっとした硬い顔だった。

 頴田君が立ち止まってくれたから、私との距離がどんどん近づいてくる。

「あの血も、ひゃぁ、私なの」

 苦しい息継ぎの中、私の言葉は紡がれる。
 頴田君に聞いてほしい。その一心で私は力を振り絞る。

「……」

 頴田君は止まったままだった。
 私を待ってくれているのでしょうか?
 それならば始めから待っててくれればこんなに苦労をしなくてもよかったのに。
 頴田君も意地悪です。

 私は遂に頴田君の所に辿り着く。
 頴田君は私の声が聞こえてるはずなのに黙ったままでした。

「ひぁ、ひぁ……。頴田君、ごめんなさい。ひぁ、頴田君の家を、ひぁ、ちょっと汚しちゃった」

 呼吸が落ち着く間なんて待てないよ。
 私は荒げた息のまま頴田君に話を聞いてもらう。

「だから……。なんでそんなことするんだよ!」

 頴田君の冷たい声。
 私はその声に聞き惚れてしまう。

「頴田君ちに行ったの。ひぁぁ……。そしたら吐いちゃったぁ♪」

「……ウチに何しに来たんだよ!」

「頴田君ちに、行っちゃダメなの?」

 私の懇願するような言葉。
 私は頴田君の家に行きたかった。
 とってもとっても行きたかった。
 それを頴田君は否定するの?

「だからなんで真湖なんかがウチに来るんだよ」

「だって……頴田君がいるんだもん」

 それを聞いた頴田君は、しばらく言葉の意味を噛みしめるようだった。

「……何、言ってるんだよ」

 やっとのことで頴田君が口にしたのはそんな言葉。
 頴田君に私の想いは、まだ伝わってはいない。

「私、頴田君のこと知りたかった。もっと頴田君に近づきたかった」

 私の切ない本心を頴田君に告げる。
 ずっと願っていたこと。
 夢見てたこと。
 頴田君への溢れんばかりの想い。

「だから、私、頴田君のこと、ずっと見てたんだよ。頴田君のことなら、なんでも聞き逃さないようにしてたんだよ。頴田君、知らなかったでしょ?」

「真湖、お前……」

「私、頴田君のことなら、なんでも知ってるよ。頴田君が人畜無害な何も出来ない人だって知ってる。人から物を頼まれたら印象を悪くするのを恐れて断れないのも知ってる。クラスの雰囲気が悪くなるのを嫌って好きでもない役目を引き受けてばかりなのも知ってる。人を見捨てるなんて後から罪悪感を感じるだろうことなんて、絶対出来ないぐらいに小心者だって知ってる。頴田君が昔からいじめられている先輩の命令で生徒会を手伝っていることも、初恋の相手で小学校の同級生だった小林さんに告白したのを学校中にバラされてトラウマになっているのだって知ってるんだから」

「……真湖。……何を、何を言ってるんだ」

「もっともっと頴田君のこと知りたかったんだよ私。頴田君の女性の好みが知りたかった。頴田君の部屋に何が置いてあるのかも知りたかった。頴田君の家族がどんな人かも知りたかった。頴田君がお風呂でどこから洗うのかも知りたかった。頴田君の全てが知りたかった」

 頴田君の頬が引きつり上がる。

「お前……」

「頴田君。ふふ」

 私の笑みが引き金になったのか、頴田君は急に駆けだした。
 さすが健康優良児の頴田君です。
 走られたら私なんて直ぐに置いてけぼり。

「待ってよ〜」

 私もそう言った時には走り始めていました。
 まだ話は終わってません。今日はちゃんと頴田君に話そうと決めたんです。

 待てと言われて止まる人なんていません。
 頴田君は堤防の道を駆け下りて前岡ニュータウンの路地に飛び込んで行く。
 それは頴田君の家とはちょっと違う方向。
 微妙に正しい判断です。
 私は頴田君ちの場所を知っているんですから。

「頴田君、待って〜ぇ」

 私の声を無視して頴田君は行ってしまう。
 私だって頑張って追いかけてるのに、私程度の足じゃ頴田君に追いつけっこない。

「話ぃ、はぁ、聞いて、ひぁ、ほしいの」

 さっきも走ったばかりで、また頴田君を追いかける。
 私にそんな体力はないんだよ。
 今まで五十メートル走だって、ろくに走り切ったことないんだよ。
 それなに私、頴田君を追って走ってる。

 息は荒れ、肺が悲鳴を鳴り響かせる。
 両の脇腹には痛みが走り、足も重くぎこちない。

 なのに、私は止まろうなんて欠片も考えなかった。

 気が付けば口からは赤い液体が垂れていた。
 さっき吐いたばかりだというのに、激しい呼吸で込み上がってきたのでしょう。
 私はそれを手の甲で拭って捨てる。

 こんな吐血か喀血かは知らないけど、そんなことで私は止まらない。止まりたくない。

 私の意思は前向きなのに、頴田君の姿は視界から消えていた。
 この辺りの街は縦横に規則正しく敷かれた区画。
 頴田君は一体どこの角を曲がったんでしょう。

 一際大きな咳に見舞われ私はたじろいだ。
 喉からの血が鼻に逆流して、口腔がワケのわからない状態になっている。

 どうしてそうまでして頴田君を追いかけるの?
 止まろうよ。止まって家に帰って、安静にしていれば楽じゃない。
 頴田君は私を嫌ってるんだよ。
 私に近づいて欲しくないんだよ。
 なのにどうして頴田君を追いかけるの?

 私の自答の答えはもう出ている。どんなに私は強がったって、怖いんだ。

 どんなに死を覚悟したって、死と隣り合わせの人生だって、死ぬのは怖いんだもん。
 死んで誰にも会えないのが寂しいんだもん。
 誰にも構ってもらえないのが辛いんだもん。
 死にたくないよ。死にたくないよ。
 このまま死ぬなんてやだよ。

 私はその思いをずっと心の奥底に隠そうとしていた。
 血を吐いたって、いつものことだと何も考えないようにしていた。
 友達がいなくたって、私は一人でやっていけると思い込もうとしていた。

 だけど、本当は寂しかった。
 みんなに構って欲しかった。
 誰とでも明るく話せる友達でいたかった。
 保健室に一人でいるのは切なかった。
 入院して学校にいけないのが悲しかった。
 私は死にたくなんかない!
 今からでもいい。健康になってずっと生きていたい。
 なのに、なのに! 私がいくら願ったって私は病弱なんだ!
 私の体はずっと、ずっとずっと血を吐き散らす惨めな体なんだ!
 だったらせめて、一人でも、たった一人でもいい。
 私の側にいて欲しい。頴田君にいて欲しい。
 『頴田君じゃなくてもよかった』なんて嘘です。
 『頴田君と恋愛ごっとしてみただけ』なんて大嘘です。
 頴田君を諦める為にそう思い込もうとしてました。
 でもダメだった。
 私は頴田君と一緒にいたい。
 たった十六年の人生だけど、こんなことを思ったのは初めてです。
 たった一人、頴田君だけなんです。

「頴田君!」

 ずっと私を苦しめていた弱々しい肺よ。
 ずっと私を生かしてくれていた肺よ。
 もう走るなんて馬鹿なこと一生しないから力を貸して。
 力の限り叫ばして!

「頴田君! 聞いてほしいの!」

 息継ぎも忘れて叫ぶ

「頴田君! どこにいるの!」

 喉も、肺も、心臓も、とっくに限界だった。
 でも、ちょっとだけ、あとちょっとだけ耐えて。
 頴田君に言いたいの。
 頴田君に伝えたら休んでいいから。
 なんなら一日や二日、止まったっていい。
 私に時間を頂戴!

「頴田君!」

 最後の力を振り絞って私は地面を蹴った。
 どこに行ったかもわからない頴田君を追い求めて、私は体を前に進めた。

 でも、無理なんです。私の体がそんなに走れるわけがない。
 もう本当に限界、ふらふらなんです。
 脚が痛い。肺が痛い。内臓全部が痛いんです。
 もう真っ直ぐ歩けないぐらいに痛いんです。

 視界は歪み急に狭くなる。
 脳に酸素が行っていない。
 走って叫んで、もうめちゃくちゃ。
 心肺は限界を通り越し脳に酸素を送れなくなっている。

 でも私は年に数百回は立ちくらみをして慣れてます。
 私にかかれば、こんなの一呼吸で立ち直ってみせます!

 口を大きく広げて空気を、空気を……。

 なぜか呼吸が出来ません。
 肺に空気を送ってるつもりなのに、手ごたえが全くありません。
 私の体から肺という器官が失われたように、まったく動かないんです。

 ははは、もうダメなんですね。
 私はここまでなんですね。
 頴田君に愛想つかれて嫌われて、それで終わり。
 なんて私にお似合いの人生なんでしょう。

 なんだか耳鳴りもしてきました。
 これは相当末期ですね。

「真湖!」

 ありゃ? 私の名前が聞こえてくる耳鳴りなんて珍しい。
 耳鳴りは頴田君の声に似ている。そんな耳鳴りなら大歓迎です。

「真湖、車!」

 最近の耳鳴りは変わった風に聞こえます。
 車ですか? それはこの目の前に迫った赤いスポーツカーのことでしょうか?

 運転手の顔が不細工で、なんだかむかつきます。
 どうして私に向かって走って来るのでしょう?
 今私は忙しいんだから、どこかに消えてほしい。

 私の願いを無視するようにスポーツカーは直進を続ける。
 運転手は私に気付いたみたいで、表情を強ばらせていた。

 次の瞬間、赤い車体が私の下に見えた。
 例えるならジェットコースターに乗ったような浮遊感が私を襲う。
 ただし、私は遊園地になんて行ったことがありませんので、
 本当のところ、ジェットコースターがこんな感じなのかどうかわかりません。

 次に見えたのが空。
 灰色の汚い雲しか見えない不健康な空。
 そんな空も傾き始めて次は黒いアスファルト。
 後はそこに落ちるだけ。自由落下とは単純なもの。
 私は地球に引き寄せられるだけ。

 その視界の端に頴田君の姿が見えた。
 あれは耳鳴りなんかじゃなかった。
 頴田君が私の身を心配して声を上げてくれたんだ。

 疲労と酸欠でふらふらだった私は、突然現れた車を避けられなかった。
 意識がはっきりしていなかったので、どういう状況で車にはねられたのかもよくわからない。
 おそらく私が車に飛び出した形なんでしょう。
 全て私が悪い。
 ただ、私をはねた車はブレーキをかけることもなく走り去っていった。
 ナンバーなんて覚える暇もない。

 不思議と地面との衝突感は感じなかった。
 気がつけば硬いアスファルトに重力で押しつけられていた。

 空が見える。
 汚い灰色の空。
 木枯らしが吹き荒れる寒空の下、私の四肢は仰向けに投げ出されたまま動こうとしない。

 痛みはない。
 本当に痛くない。
 絶対おかしいです。
 車にはねられて痛くないはずがありません。
 いわゆる、限界を超えた痛みは感じないという奴でしょうか。
 私の体は全く動かないんです。

「真湖!」

 頴田君の声。
 どうして私から離れて行ったはずの頴田君がここにいるかはわかりません。
 でも、確かに頴田君はここにいる。

「真湖!」

 私の名前。
 頴田君が私を呼んでくれる。
 それだけが唯一の救い。

 私は安心して目を閉じることが出来る。

「真湖、死ぬな!」

 ありがとう頴田君。
 そう言ってくれるだけで私は満足です。

 頴田君。今まで本当にごめんなさい。

 私は迷惑ばかりかけていました。

 私が普通の女の子なら、頴田君と普通に付き合って、
 お茶したり、映画に行ったり、楽しいデートが出来たかもしれません。

 でも、私はちょっと普通じゃありませんでした。

 もし生まれ変われるなら、私も普通の女の子として頴田君と出会いたい。

 それは後悔じゃない。

 素直な願い。

 後ろめたい気持ちなんて一つもなく、私は生まれ変わっても頴田君と一緒にいたいんです。

 アスファルトの冷たさが私の体温を奪っていく。
 私の微熱を奪っていく。

 気持ちいい。
 今はその冷たさも気持ちいい。

「……真湖」

 頴田君の指が私の頬にかかるのがわかる。
 頴田君の手、暖かい。

 目を閉じて暗闇に包まれても恐くない。
 頴田君が側にいるだけで、全ての恐怖から私は救われる。

「真湖……、どうして……」

 頴田君の泣きそうな声が聞こえる。

 私は頴田君まで泣かせてしまうのでしょうか?
 それはいけません。

「どうして……だろうね」

 私はやっとの思いでしわがれた声を出す。

「真湖、生きてる!」

 頴田君が喜びの声を上げる。
 私の声で喜んでもらえるなんて、私も本望です。
 これで思い残すこともない。

「きゅ、救急車」

 頴田君は携帯電話を取り出して助けを呼んだ。
 その必死の姿、格好いい。
 さすが私が好きになった人です。

「真湖、直ぐに救急車が来るからな」

 日本の救急救命は優秀です。
 こんな田舎でも連絡をしたのなら十五分とたたずに来てくれるでしょう。
 なら、あと十五分、命があればいい。

「頴田君……、聞いてほしい……」

「なんだ? どうした?」

 頴田君は私の手を握って真剣に聞いてくれる。
 そんな、ぎゅっと手を握ってもらえるなんて……。

「……知ってたよ。私」

「え?」

「私、全部わかってた。頴田君が迷惑してるのも……。私のしてることがおかいしいのも……。
 でもね。でも、私、頴田君の側にいたかったの。頴田君に嫌われても……、側にいたかったの。
 私はいけない子。頴田君に迷惑かけて、頴田君を困らせて、それでも頴田君にいてほしかった。
 頴田君から力をもらいたかった。生きるチカラをもらいたかった」

 私は切々と語る。
 頴田君に伝えたかった想い。
 頴田君に聞いてもらわなくちゃならない気持ち。

 私の頬には自然と涙が零れていた。

「……なんで俺なんだよ」

 まだわからないの? 頴田君の唐変木。

 言うべきことは決まってた。
 だけど直ぐに言葉に出来なかった。
 言ってしまっていいのかな?
 頴田君にまた迷惑かけるかな?
 今更迷うなんて、私も卑怯な女です。

「頴田君が好きだから……。頴田君が大好きだから。
 頴田君にいてほしいから。少しだけでいい。私が死ぬまでの間でいい。頴田君に一緒にいてほしい……」

 やっと言えた。
 たったそれだけの言葉を言う為に、私はどれだけ遠回りをしてきたのだろう。

 私の告白を聞いて頴田君は目を白黒させていた。
 もしかして、そんな回答考えてもみなかったのかな?
 頴田君らしいです。

「真湖……。結構元気だね」

 うっ。見抜かれた。
 死にかけ泣き落とし作戦だったのに。

「そんなこと、言われたの初めて」

 生まれてこの方、私が元気な健康体であったことなど一度もありません。
 でも、車にはねられてこれだけ喋れば、確かに元気です。

「俺も、好きだなんて言われたの初めてだよ」

 え? そうなんですか?

 頴田君の初めての人になれた喜びに胸打ち揺るえる。

「真湖、怪我してないのか?」

「うん。この通り」

 それは単なる強がりです。
 言葉に反して指一本動かせそうにない。
 仰向けに倒れたまま力なく横たわっている。
 演技で車にはねられるわけがない。
 全身打撲。どこか骨折もしているかもしれない。
 でも本当に痛みはなかった。

「この程度で死んでたら私、今まで生きて来れなかった」

 それは誇張でもなんでもない。
 本当の死の恐怖を味わったことがあるからこそ言えるんです。
 まだ言葉が喋れる時点で生温い。

「それは……すごいね」

 頴田君が本当はどう思っているかはわからない。
 でも頴田君の声に私を疑っている色は見えなかった。

「頴田君、ありがとう」

「どうして礼を言うんだよ?」

「今、側にいてくれるから」

 頴田君の手はずっと私の手を握ったままだった。
 あれだけ迷惑かけたのに、頴田君に拒絶されるようなこともしたのに、
 今私と頴田君の間に隔てるものは何一つない。
 私、幸せです。

「……真湖は、まだ俺に付きまとう気か?」

「うん♪」

 私の答えは早い。
 考える時間なんていらない。
 そんな質問になら、いくらでも即答してやります。

「どうして? こんな目にあっても、俺に付きまとうんだい?」

 こんな目?
 たかだか一回死にかけるぐらいがなんです。
 私の恋は命がけなんです。

「あのね。なんだかんだ言って、頴田君は私を見捨てない……。
 私が死にかけたら、頴田君は助けてくれる。
 うん、絶対助けてくれる。何度でも助けてくれる。
 私が言うんだから間違いないよ」

 私の言葉に頴田君は声に出して苦笑するばかりだった。

「そりゃ、まいったな……。多分、正解」

「でしょ?」

 私は倒れたまま喜びの声を上げる。
 頴田君のことは私が一番よく知っているんだから。

「真湖。もう変なことは止めろよ。人の嫌がることは止めろよ。そうしたら……」

「ふふふふ、頴田君、やさしいね。でも甘いです。スイーツと同じぐらいに甘ったるいです。
 私が変なこと止めたら私じゃないよ。私の個性奪っちゃダメ」

「おいおい。それじゃあ、一生俺は困らされるのか?」

 言葉に反して頴田君は嬉しそう。まさか頴田君もMっ子ですか?

「う〜とね。頴田君が私の死を看取ってくれるなら、私いい子になってもいい」

「どうして真湖のこと、一生面倒みなくちゃならないんだ?」

「私が死んだら再婚してもいいから」

「誰がお前と結婚するなんて言った」

「残念……」

「それだけ軽口を叩けるなら大丈夫だな」

 頴田君の声は優しかった。

 付近に人通りは全くない。
 あれから車も通らない。
 この道はニュータウンの知る人ぞ知る抜け道なのかもしれない。
 だから私をはねたあの車もこんな住宅街でスピードを出してたんだ。

 私は地面に仰向けのまま。
 頴田君が側にいるからなんの心配もない。

「うぎぎぃ」

 気合いの言葉と共に体を起こそうとするが、全く動かない。
 やっぱり私、死にかけだ。変な所を打ってるかもしれない。

「おい、無理するなよ。救急車呼んだんだから」

 頴田君。私の体は生まれてからずっと無理して生きてきたんだよ。
 今更、無理をするなって言われても困ります。

 強制的に見上げる空は一面の雲。
 アスファルトと空気の冷たさが、私の体温を本当に奪っていく。
 唯一のぬくもりは頴田君の手のひらだけ。

「あちゃぁ。ちょっと眠くちゃった……」

 こういう場合、寝たら死ぬんだよね。
 でも今は死ぬことがあんまり怖くない。
 頴田君に好きって言えたからかな?

 私の顔に冷たい刺激。それが二度、三度。

「雪だぁ」

 天から白い幕が流れるように、一面に雪が降り始める。

「う〜ん。こんなときに雪が降るのは確かにロマンティックなんだけど……、お天気さまは本当に私を凍死させる気かしら?」

 そんな軽口が言えるんだから大丈夫。
 頴田君がそう言ってくれたんだもん。
 こんなに嬉しいことはないよ。

「き〜よし〜」

 私は呟き声で歌を紡ぐ。
 なんだか本当に気分がいい。

「こ〜のよ〜る〜」

 宙に舞う白のカーテンは、私の歌声が指揮するように綺麗になびいて揺れる。
 遂に雪の季節。
 この雪は来年の春まで霧ヶ屋を白に染めるでしょう。

「随分ご機嫌だな」

 うん。こんなに気分がいいのは初めてです。
 私は生まれて初めて、何の心配もなく、何の不安もなく、心地よい幸せを感じていた。

「頴田君、一緒に歌う?」

「クリスマスは二週間も先だぞ?」

 確かに頴田君の言う通り、クリスマスにはちょっと早い。
 そんなの些細なことです。頴田君もお堅いんだから。

「いいの、そんな気分なんだから」

「車にひかれて、起きあがれない奴の言う言葉じゃないぞ」

 ふふふ。
 私の口から自然に笑みが漏れた。
 それは頴田君も同様で、さっきまで私をおいて走り去った人物とは思えない爽やかな顔をしていた。

「……真湖」

「……はい」

「約束なんか出来ないけどさ、もうしばらくはお前のこと見ててやるよ。保健委員だしな俺」

「……うん。約束だよ」

「だから約束なんてしねぇって」

「頴田君……、メリークリスマス♪」

 今日はクリスマス。
 本当のクリスマスにはまだ早いけど、今日は私のクリスマスにしておく。

 だって、その方が素敵じゃない?

 私の頬は、ほのかに火照っていた。





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